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『鹿の王』読んでみた [関係ない話]

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前々から読みたいと思っていたのだけれども、
お金を出して買うつもりはないし、
図書館は予約でいつ回ってくるか分からないようだし、
知り合いも誰も持っていないようだったので、
あきらめていました。

するとひょっこりと、上の子が学校の図書館から
借りてきました。

おおよそ表紙の狼のイラストに心ひかれただけで
借りてきただろうことは間違いないでしょうが、
親子そろって読みたいものが同じとは...

小学生の読み物としてはちょっと難しい気もしますが、
県図書館でも児童文学扱いのようです。

架空の国々が登場する、中世以前っぽい時代背景のお話なのですが、
支配する側とされる側、
いわゆる『西洋医学』の道を歩む側と、神に与えられた運命を信じる側、
対立と調和と言った様々な相対する立場から物語が語られています。

岩塩鉱の謎の大量死で、なぜか生き残ったヴァンと、
それを追う医師ホッサルの二人が主人公で、徐々に事件の謎が明かされ
その後の事件へと展開していきます。
登場人物のそれぞれの思惑と策略が入り混じり、白と黒とをはっきりと区分できない部分、
いわゆるグレーの部分を作り出していて、それがファンタジーの中でとても現実的です。

お話は、おもしろかったと一言で片付けるにはもったいない出来かと思うのですが、
気になった点が2点。
「踵(きびす)を返す」と言う表現が多いこと。
そして主要人物にはほとんど「通り名」があることが
少し気になりました。

「踵を返す」と言うのは=かかと(踵)の向きを返す=向きを変えて戻るという意味で、
おそらく古臭い中世っぽさをかもし出したかったのかと思いますし、
上下関係が厳しい時代である感じもします。

「通り名」というのはあれです。
シャア・アズナブル=「赤い彗星」ってやつです。
例えば登場するのは「欠け角のヴァン」「魔神のおちご」「アカファ王の網」「アカファ王の懐刀」等々。

読む側からすれば通り名があることは、
その人物を把握するのに手っ取り早いのですが、
そんなに通り名が付いているとありがた味がないというか、安っぽい感じさえも受けてしまいます。

私は、本を読むことは嫌いではなく、時間さえあればもっとたくさん手に取って読みたいのですが、
はっきり言って、登場人物の名前を覚えることが出来ません。
日本人の名前でも、外国人の名前でも、架空の人間というのは苦手です。

読み終えてしまえば、覚えた登場人物の名前は
全く意味のないデータになってしまうので
脳が覚えることを拒絶するのです。
(単に記憶力がないことの言い訳です。)

今回はB4用紙よりも大きな紙に登場人物の名前を中心に
相関図をなぐり書きしながら読み進めました。
カンニングペーパーを書いているおかげで、名前を覚える必要が全くなく、
非常にスムーズにページをめくり進めることができました。
次からもこの方法で行きます。

ラストは劇的、というか、まさにステージ上での劇の終わり方のようで、
ステージの両端から幕が引かれ、観客の拍手まで聞こえてきそうな終わり方です。
これには賛否両論あるかと思いますが、
いろいろと他のラストパターンを想像してみると、
そう終わる他はなかった、ベストな選択だったのかなとも思うわけです。

あまりあらすじを書いてしまうとこれから読もうという方に申し訳ありませんし、
心に残った言葉をふたつだけ、自分の覚えに書いて締めくくろうと思います。
どこで出てくるか、誰の言葉であるかは、読んでみてのお楽しみです。

(人生とは)
神の掌に描かれた運命のように見える
その中でもがくことこそが多分生きるということ


人と言うのは哀しいもので
なにをやっても、どこかに悔いが残るもんだ



結局、上の子は借りてきただけで読みませんでしたけどね。

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